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ブラッドベリのエコー

小川高義
Takayoshi Ogawa

 ある翻訳者がどの作家を訳すかということは、おそらく俳優にとってどんな役柄を演じるかというのにも似た意味があるでしょう。誰を訳すかによって、訳者が鍛えられることもあります。私はブラッドベリの小説そのものは訳さなかったので、ブラッドベリに鍛えられた実感はあまりないのですが、その代わり、ほかのブラッドベリ訳者とは異なる経験をさせてもらいました。つまり、インタビューを集中して訳した、ということです。
 訳者は役者でもありますが、また声帯模写の芸人でもあります。原作が持っている「声」をつかまえて、その特徴を再現しようとします。では、インタビューを訳すとしたらどうなるか。当然ながら、しゃべっている本人の声をつかまえようとします。あくまで仮想体験ではありますが、『ブラッドベリ、自作を語る』という本を訳していた数カ月、私はずっとブラッドベリの物まねをしていたのでした。
 訳者は物まね芸人でもありますが、またゴーストライターでもあります。日本語を使わなかった作者になりかわって、作者が日本語で言ったかもしれないように言い直します。ですから、かなり誇張した表現をするならば、このところ私はブラッドベリになっていたのでした。言い直した結果を刊行してから数日後に、作者がゴーストになってしまうとは、ゴーストライターも驚くしかありません。

 この対談集の原著タイトルはListen to the Echoesです。本文の全体で「エコー」という語が二度使われていますが、その一度目のほうで「生きたことのエコーは響くと思うよ」と言っています。これは来世を信じるかと問われての答えでした。「僕はあちこちに散らばる」というのです。娘や孫が「僕を代表して残ってくれる。それだけ『死後』があれば充分だろ?」
 では、この発言を勝手に拡大解釈させてもらいましょう。同書の別の箇所で、「作品は自分の子供みたいなものだからね」とも言ったのですから、ブラッドベリがどれだけ世界に散らばったのかわかりません。これだけ大量の「死後」を持っていて、「生きたことのエコー」を響かせる人は少ないでしょう。
だったら、かつて魔術師ミスター・エレクトリコに言われたという思い出の言葉を、ブラッドベリへの追悼として繰り返してもよいはずです。「永遠に生きよ!」

小川高義(翻訳家)